気と心
鍼治療をしていると遭遇する得体のしれない「気」
「気」を上に上げるだの「気」を補うだの、
正直なところ胡散臭く感じちゃいます。
ですが、私はこの「気」の考え方がわりと好きです。
気をつかう から疲れる
気をもつ から気持ちがある
気が散る から集中できない
当たり前のことを言っているようですが、妙に納得する部分があります。
同じ「もの」でも「気」持ちの、こもったプレゼントとそうでないものとの、違い
当たり前のようでなんか深く感じるのです。というか、ものごとを、考えるときに、わかりやすくなるのです。
そんな矢先にこんなヒントを、いただきました
気を使うは
→自分の気持ちを抑えて相手に合わせる
心を使うは
→自分が相手の為に出来る行動はないか
と相手を思う
気を使うは我慢する。
心を使うは与える。
ブロガーさんからお借りしました。
自分で気づいたことではないので、自分の中の考え方にぴたりとハマることはないかもしれませんが、柱となるヒントをいただきました。
ありがとうございます。
これからも得体のしれない「気」に、関する気づきがあったら記録していきたいです。
あ、「気づき」ってなんなんでしょうね
自分の「気」が何かヒントにくっつくことかな?そう考えると「気づき」が、多いと豊かになりそうです。でも多すぎるとなんだか疲れそうですね、。
と言った具合に考えが進むので「気」の考え方が好きです。自分の持てる「気」は増やせるんですかね?キャパあるんですかね?上限あるんですかね?興味あります。
これからあまり「気」を使わないように心がけます。もったいない笑!